研究内容
研究目標 〜何を知りたいか〜
ラットの大脳皮質は6層構造をしており、グルタミン酸作動性(興奮性)の錐体細胞とGABA作動性(抑制性)の介在細胞が組み合わさって「皮質内回路」を形成しています。さらに、大脳皮質の各領野は相互に連絡するとともに、それぞれが線条体、淡蒼球、視床などを介して「大脳皮質−基底核ループ」を形成しています。これらの脳領域は、知覚認知や行動発現などにとても大切な役割を担っています。
1970年代より、単一ユニット記録法をもちいて、行動課題に関連する大脳皮質や大脳基底核の神経細胞の発火活動(ユニット)が活発に調べられてきました。ところが、この方法では、記録細胞の細胞サブタイプ、存在部位、軸索結合などを決めることは技術的に極めて困難でした。そこで私たちは、新しい実験技術を導入して、大脳皮質や大脳基底核の神経回路内で機能的情報がどのように処理されるのかを調べることにより、脳機能を担う大脳の回路原理を探る研究を開始しました。
研究手法 〜どうやって知るのか〜
1. オペラント学習課題
従来、ラットなどの小動物に前肢でレバーを押すと報酬を得るオペラント学習課題を訓練するのには、数週間から数か月を要していました。私たちは、レバーとスパウト(飲み口)を合一化した「スパウトレバー」を考案し、わずか数日でラットに前肢によるスパウトレバー操作課題(押す、引く、保持など)をオペラント学習させることに成功しました(Kimura et al., 2012; 特許5692681, 5935221)。この行動実験系を活用すると、学習課題を遂行するラットを極めて効率よく生理学的実験に供給することができます。実際、前肢運動に関連する運動野細胞の膜電位変化を安定してホールセル記録できるほどです。また、実験目的に応じて、Go/No-go弁別課題やStop-Signal課題などに幅広く応用することもできます(Yoshida et al., 2018)。当研究室が誇る独創的な行動実験系です。
TaskForcer Leaflet(製造委託:小原医科産業株式会社)
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2.傍細胞(ジャクスタセルラー)記録
単一神経細胞の発火活動を記録するとともに、その記録細胞の形態を可視化することができる画期的な実験技術です。この技術を使って記録細胞を可視化すると、その細胞サブタイプを同定し、細胞体の存在部位を決め、軸索結合を追い、各種分子マーカーの発現を調べることができます。私たちは、世界に先駆けて、行動している動物を対象とした傍細胞記録実験に挑戦し、ラットの運動野細胞や線条体細胞からの傍細胞記録に成功しました(Isomura et al., 2009; 2013)。例えば、運動野のバスケット細胞(抑制性細胞の一種)は運動の発現時に活動がむしろ増加することを、世界で初めて見出したのです。
3.マルチニューロン(+局所フィールド電位)記録
シリコンプローブ(多点電極)を介して、多数の神経細胞の発火活動を一挙に記録することができる実験技術です(解説:礒村, 2011)。各電極から得られた信号は、スパイク・ソーティングという解析技術をもちいて、個々の神経細胞由来の発火活動(ユニット)に分離していきます。このスパイク・ソーティングには、共同研究者が開発したEToSという高精度のソフトウェアを使用しています(Takekawa et al., 2010; 2012)。マルチニューロン記録では、記録細胞の可視化同定はできませんが、大脳皮質ではスパイク形状によりRS細胞(主に興奮性細胞と推定される)とFS細胞(主に抑制性細胞)に分類することができます。私たちは、運動発現に関連する運動野のRS細胞やFS細胞の間には強い同期的発火がみられることを示しました(Isomura et al., 2009; Kimura et al., 2017)。また、大脳基底核では、線条体の直接路と間接路の投射細胞を記録・同定し、それぞれ異なる機能的活動を示すことを明らかにしました(Nonomura et al., 2018)。
マルチニューロン記録法では、脳組織内の脳波である局所フィールド電位(LFP)も同時に記録することができます。大脳皮質や海馬における局所フィールド電位は、神経細胞間のシナプス相互作用を密接に反映していると考えられています。これまでに、睡眠中やてんかん発作時の大脳皮質や海馬の同期的活動の仕組みを明らかにしてきました(Isomura et al., 2006; F.-Tsukamoto et al., 2010など)。運動発現や報酬期待に関連して大脳皮質や海馬にみられるガンマ・オシレーションなどの同期的活動の仕組みと働きも詳しく調べています(Igarashi et al., 2013など)。最近ではNeuropixelsプローブ(JJ Jun et al., 2017)の使用も開始しました。
4.光遺伝学(オプトジェネティクス)
従来の電気生理学的手法では、どんなにたくさんの記録データを集めても、さまざまな神経活動の「相関性」を観ることしかできませんでした。神経回路の情報処理の仕組みを理解するためには、そこを流れる信号を人為的に操作して、神経活動の「因果性」を示す必要があります。近年、急速に発展している光遺伝学(オプトジェネティクス)技術が、神経活動の「因果性」の検証を可能にします。私たちは、チャネルロドプシン2(青色光で膜電位が脱分極する)を発現するトランスジェニック・ラットや経路特異的ウイルスベクターを導入しています(Saiki et al., 2018; Soma et al., 2017, 2019; Nonomura et al., 2018; Rios et al., 2019)。さらに、マルチニューロン記録とオプトジェネティクスをリアルタイムに組み合わせることでコリジョンテストを自動化する新しい方法、「マルチリンク法」を開発しました(Mitani et al., iScience 2022)。この方法により個々の神経細胞の投射先の情報が効率的に同定できることになります。
※ 福島県立医科大学 小林和人研究室、山梨大学 大塚稔久研究室、東京慈恵会医科大学 渡部文子研究室などと共同研究を推進中。
5.理論的解析・シミュレーション・モデル化
当研究室では、一度のマルチニューロン記録実験で膨大な量の記録データを得ることができます。記録データは自動的に一次解析(スパイク・ソーティングなど)が施されてデータストレージに保存され、原則として実験者自らが研究目的に沿った二次解析を進めていきます。その際に、玉川大学の酒井裕教授(神経計算論)らの協力を得て、高度な理論的解析の手法を随所に取り入れ、より強固な結論を導く完成度の高い研究を実現しています。理論研究者自身も、シミュレーションやモデル化の手法を駆使して、実験から得られた解釈を検証し、さらには次なる実験の結果を予測し、新たな概念を確立するという、「実験と理論の融合」の具現化を目指しています。
酒井裕研究室(玉川大学 脳科学研究所)
※ 北海道大学 島崎秀昭研究室などとも共同研究を推進中。
6.2光子顕微鏡、ファイバーフォトメトリ
当研究室は、世界最大視野を有する2光子顕微鏡を導入しました(Yu et al., 2021)。この顕微鏡を使ったカルシウムイメージングにより、大脳のたくさんの領野から同時に数万個以上の細胞活動を観察することができます。また、ファイバーフォトメトリ法も新たに構築し、細胞外ドーパミン濃度の時間変化を線条体などの脳深部において観察することに成功しました。こうした光を使った生理学的記録法は、活動電位のようなはやい神経活動を捉えることは難しい反面、様々な分子生物学的ツールとの組み合わせによって新しい生理現象を叙述することに貢献するでしょう。
7.トランスクリプトーム
トランスクリプトームは近年爆発的に発展した分子生物学的方法の一つです。これを使うと、個々の細胞の遺伝子発現状態を同時に多数同定することができるようになってきました。当研究室では最近、この方法を上記の神経生理学的な記録方法と融合する研究を開始しました。例えば特定の学習に関与した神経細胞群はどのような遺伝子発現タイプを有し、またその学習はどのように遺伝子発現変化と関与しているのでしょうか?こうした切り口は大脳生理学に新しい切り口を提供し、今後大きく発展していくと考えられます。
研究の方向性 〜オリジナリティの追及〜
私たちは、脳の本質的な原理を理解するために、ラットの知覚認知や行動発現などを担う脳回路の仕組みを研究対象として取り上げています。これまで多くの脳科学研究は、脳活動を「平均」することにより、脳機能の「局在性」をあぶり出す方向に進んできました。しかし、脳活動は時々刻々とダイナミックに変化していますし、単一領域ごとではなく多領域ネットワーク全体が情報処理を担っているのは今や疑いありません。このような「静から動へ」「点から線へ」という視点を大切にして、研究手法を洗練し、学際分野に進出し、失敗を恐れずに、真のオリジナリティを追究したいと考えています。
研究指導 〜主役は君たち〜
当研究室は、次世代の研究者を応援します。
- 将来像に合せた研究テーマの選定
- 実験セットアップは1台につき1人から2人まで
- 実験技術を一通り習得する指導カリキュラム
- 知識よりも論理力を育むディスカッション
- 実験と理論の融合を体感
- 研究室内外の効果的な共同研究も推奨
何よりも、学問を楽しみましょう!